海図の裏紙

我が身に降りかかってきたことをつらつら書きます。

就活の感想

就活が終わって久々にゆとりができ、文章を書きたい衝動に駆られたので、就職活動の感想でも書き散らしておこうと思った。

 

自分は努力ができないと思っていたな

中・高・大・院と受験をあまり苦労せずパスしてきて、部活動でバリバリ練習に励んだような経験もなく、むしろ大学に入ってから周囲が努力家ばかりで、「自分は努力のできない人間なんだ」と引け目を感じていた。あと、「努力したかどうかは自分が決めることではない」「大事なのはその場その時の最善を尽くすことであり、それを努力と呼んで誤魔化すのはよくない」っていうのも思っていた。今思えばひねくれが過ぎる。

就活中、高校物理をやり直さなくてはいけない場面があったのだが、知識が抜けすぎており恐ろしいほど解けなかった。高校生、特に大学受験の頃はそれが当たり前だと思っていたが、毎朝7時半に家を出てチャリを漕いで登校し、授業を5コマ受けた後、図書館で自学に励んでから帰宅していた、あのルーティンこそ努力だったことを痛感した。
通っていた高校には学習時間調査なるものがあり、自分の学習時間が周りの人のそれより少ないことが可視化されていたので、「私は努力不足ですね~」などとのたまっていた。しかし、努力とか苦労とかそういうのは他人と比べるものではなく、自分で絶対的に判断してあげなければいけないものだと、7年の月日を経て高校生時代を振り返った今になって思う。

就活中も、それこそトイレットペーパーに血のにじむような努力をしていた(実話)。ESやWebテストに少なくない自分のリソースを割き、面接や試験の前日は無理をしない、というのを永遠に繰り返した。時には慣れないこともした。通った落ちたに振り回され、成果が目に見えず心が折れそうになりながらも、上手いことモチベーションを上げる工夫をして、やるべきことは続けた。

肝心なのは、何にどう力を入れたのか、振り返ったときに解像度を下げないことだと思う(就活でも散々問われるガクチカの本質な気がする)。あと、変に卑屈になることは、単純に私の陰で第一志望が叶わずに涙を流した人に失礼である。

 

めちゃめちゃ応援されていた

修士3年生ともなると、周りの同級生は社会人1年目や3年目である。彼らにはESをたくさん添削してもらったし、困ったことがあれば教えを乞うていた。同級生に限らず、地元でお世話になっている大人の方々、大学の専攻の先生方などなど、様々な形で応援の言葉をいただく機会が多かった。それを実感したのは、就職活動を締めるにあたり誰に報告するかを考えたときだった。

ずいぶんと雑なご報告の仕方もあるようだ。
手垢のついた言葉で「人に恵まれた」と言うのはたやすい。その分、自分の行動を粗末にしないことと、逆に応援する立場では変に期待をかけないことが大事なように思う。

 

シングルタスクとマルチタスク

私はマルチタスクが苦手だ。同時にふたつの物事に集中することはできない。
しかし、長期的に見るとちょっと事情が違う。むしろ複数のタスクが重なっていたほうが、気が楽なことがある。

この辺は就活を進めていた上での大きな気付きだと思う。あまりに多過ぎるタスクの処理はかえって負担なのだが、特にデッドラインのあるタスクとないタスクを織り交ぜるのは、私にはすごく向いていた。就活は終わってしまったので、諸々の課外活動でデッドラインを作るのが良いかな、と最近は思う。

 

就活中に救急搬送されてマジで心を折った話は、また後日。