海図の裏紙

我が身に降りかかってきたことをつらつら書きます。

南東北出張の話①双葉町と伝承館

東京-名古屋間を、2年ぶりに脱出。行き先は南東北

伝承館を見る

常磐線(の松戸より先)に乗ること自体が初めて。普段乗っている東海道線に比べたら、車窓風景が見応えに欠けるな……と感じた。沿線一つひとつの街のことに詳しかったら、もう少し楽しめたかもしれない。

いわきまで特急ひたち、いわきから双葉までは鈍行。

 

双葉駅から専用の送迎バスに乗って、東日本大震災原子力災害伝承館へ向かう。

f:id:mihirope:20211205145638j:plain

中の食堂で浪江焼きそばをいただく。どちらかというと焼きうどんという感じ?

f:id:mihirope:20211205145730j:plain

館内は撮影OKだったが、なぜか写真が手元にそれほど残っていない。発災当時の災害対策本部や病院の事務所にあった白板や模造紙も展示されていて、生々しさを感じた。

f:id:mihirope:20211205145716j:plain

津波で流されたプロパガンダかばん。皮肉だ。

 

帰りのバスまで時間を持て余したので、復興祈念公園の造成地に立つ展望台まで歩いてみた。

f:id:mihirope:20211205145742j:plain

f:id:mihirope:20211205145752j:plain

f:id:mihirope:20211205145804j:plain

f:id:mihirope:20211205145705j:plain

f:id:mihirope:20211205145651j:plain

f:id:mihirope:20211205150038j:plain

見ての通り、人間の数より重機の数のほうが多い。

f:id:mihirope:20211205150153j:plain

建物がほとんどないので、空はめちゃめちゃ広い。

 

双葉駅前を歩く

バスに乗って、双葉駅まで戻ってきた。ここでも時間が空いたので、駅前をぷらぷら歩いてみることにした。

f:id:mihirope:20211205150629j:plain

 

 

何の気なしに歩いたものが、目にした光景は想像を超えた。

f:id:mihirope:20211205150701j:plain

駅前を北に入ってすぐの商店街。空き地か廃屋しかない
特急停車駅から歩いて2分のゴーストタウン。私がほっつき歩いている間に、巡回のパトカー以外にすれ違う人や車はいなかった。

f:id:mihirope:20211205151321j:plain

f:id:mihirope:20211205151309j:plain

f:id:mihirope:20211205151256j:plain

この日最も衝撃を受けたのが、一番下の消防団の詰所。シャッターは捲れ上がり、時計は10年前の"あの時"を指したまま動かない。これは震災遺構ですよ、と伝えるものもない。

 

双葉駅前に許可証なく立ち入りができるようになったのは、2020年の3月。9年という月日は、営みを風化させるのに短くはなかったはずだ。

 

f:id:mihirope:20211205152311j:plain

 

原子力ブームだった当時、浜通りの各町が未来永劫原子力で町政を律することができると考えただろうか。過去に限らず、工業/商業誘致が、地域にとって無期限のペースメーカーにはならないことを、どれだけの人が意識しているだろうか。そして今、持続可能という言葉が浸透してもなお、人工的なひとつのシステムを持続させることの限界に、目を瞑っていないだろうか。

 

f:id:mihirope:20211205153452j:plain

 

地震大国に原子力発電がフィットしないことと、工業大国として必要な電力量がべらぼうに大きいことと、先進国として足並みを揃えてクリーンエネルギーへ転換する必要に迫られていること。なにかひとつを頭ごなしに否定することは簡単だけど、せめてその対岸にも立てる大人でありたいとは思う。