海図の裏紙

我が身に降りかかってきたことをつらつら書きます。

就活中に救急搬送された話

長めの自分語り、または詫び状でもある。

 

ファーストオピニオン(前置き)

2021年1月21日(木曜日)

夕方17時、私はオンライン授業を受けていた。オムニバス授業だったのだが、その週の講師はスライドを作るのが恐ろしいほど下手だった。画面いっぱいに詰められた文字、ふんだんに使われた刺激色…………

画面から内容を読み取ろうとするほどにめまいを感じ、少しベッドで休むことにした。夜になってめまいも一旦快復したが、溜まっていた通知をさばくためにスマホの画面を見ていたら、またしてもめまいが襲ってきた。その日は諦めて寝ることにした。

 

2021年1月22日(金曜日)

起きてもまだ少し症状が残っていた。この日は朝から総合病院で造影剤を入れてCTスキャンの検査をする予定だったが、窓口で症状を告げたら「今日は検査はやめておきましょう」という話になってしまった。

午後に脳神経外科を受診した。バスに乗って向かったのだが、めちゃめちゃに酔った。皮肉にも脳神経外科で造影剤を使わないCTスキャンを撮ったほか、あれこれ簡易検査もしたのだが、「特に異常ないですね。めまい止めと頓服の鎮痛薬出しときます」と言われて帰された。

 

結局頓服を飲むタイミングはなく、めまいはどこかへ行ってしまった。しかし、この出来事を境に「コンタクトレンズを着けたまま長時間パソコンの画面を見るのがきつい」と感じるようになり、なるべくそういった状況は避けるように心掛けた。

その後たまたま眼科へかかる機会があり、一連の出来事を話したところ、「それ眼精疲労だよ。瞳孔を開く目薬出しとくから寝る前に注して」と、疲れ目用の目薬と合わせて処方してもらった。
そうだよな~コロナでディスプレイ見る時間長くなったもんな~、程度に思っていた。

 

セカンドオピニオン

2021年5月1日(土曜日)

出先の事務所で就活の諸作業をしていた。この日は雨で外も薄暗く、室内の蛍光灯をつけて、机上の紙に向かっていた。

GWを乗り切った持ち駒は3分の1にまで減り、内々定はゼロ。まな板の上に身を置かれては、無慈悲なお祈りを受け取る。3月4月とそんな日々を繰り返していて、神経は擦り減りに擦り減って、まるでとろろのようにドロドロな精神状態だった。

 

それはあまりにも突然だった。何の前触れもなく激しい頭痛とめまいと吐き気を覚えた。耐えきれず床に横になった。あらゆる光を「痛い」と感じ、室内の蛍光灯を全て消したが、外からの反射光すら痛く感じて目が開けられない。

そんな状況が一時間は続いただろうか、いよいよ自力ではどうにもならないと悟った。しかし助けを求めようにも、事務所には私しかいない。吐き気で声が出せず、救急車も呼べない。スマートフォンで助けを求めようにも、ディスプレイすらまともに見られない。

 

事務所のslackを何とかダークモードに設定し、randomチャンネルで助けを求めた。ありがたいことにすぐに反応があり、代わりに呼んでくれた救急車に担ぎ込まれるに至った。外に出たときに、事務所前の大通りを通る車が、アスファルトの水溜まりを切っていく音が耳についたことと、救急車に担ぎ込まれた後に事務所を貸してくださっていたNPOの代表の方が雨の中わざわざ来てくれたと聞いて、その日初めてそこで涙を流したことだけは、はっきりと覚えている。

 

総合病院に搬送され、雨ざらしの中20分ほど担架ごと屋外に放置された後、鎮痛剤の点滴を受けてようやく、目を覆っていたハンカチを取ることができた。とりあえず再び目を開けることができたことと、倒れてから全く把握できていなかった周囲の状況を確認できたことで、心底安心した。症状はすっかり良くなり、帰宅することになった。

実家には救急隊から連絡がいっており、親父が迎えに来ていた。帰りの車で一旦私の独り住まいに着替えや服用薬など荷物を取りに行ってから、今夜は実家で過ごしなさいと言われた。倒れたのが17時頃、救急搬送が18時半頃で、総合病院を出る頃には時間は22時をとっくに回っていた。

 

自室に戻り、荷物を取りまとめていたところ、症状が再発。動けなくなり床でうずくまっているところを、なかなか車に戻ってこないことを不審に思った親父に発見された。移動が困難なので実家には帰らず、自室で夜を過ごすことになった。

 

就活は続けられるのか、社会人になれるのか、そもそもこの一連の不調は何という名前の病気なのか、絶望で頭がいっぱいだった。

眠れるはずもなく、かといってスマホを見るわけにもいかず、ラジオを聴きながらベッドに臥していた。

偏頭痛持ちのオードリー若林が、新薬「エムガルティ」を定期的にお尻に注射することで克服できそうだ、みたいな話をしていた。話の内容もさることながら、オードリーのふたりの笑い声が、孤独と絶望でいっぱいだった私の頭に、少し余裕を持たせてくれた気がした。

お腹が空いていたので、帰り道で買ってきてあった焼きうどんを温めて、真っ暗な自室で噛み締めるように食べた。お腹と心が満たされ、気づかないうちに眠りについていた。

 

ちなみに、総合病院からかかりつけの心療内科医に渡しなさいと言われて預かった診断書の内容は「緊張性頭痛」だった。

 

サードオピニオン

2021年5月4日(火曜日)

少しずつ日常生活がまともに送れるようになり、この日は街へ出てみた。が、大型商業施設に入ったところでまたしても症状が再発。やむを得ずタクシーで帰宅した。

ここであることに気づいた。キッチンの換気扇が回る音、お手洗いの流す音がやたらと耳につく。神経に響くので、耳を塞ぎたくなるような感覚になる。

 

救急搬送の当日にも、こんなことが起こっていたことにお気付きだろうか。

 

感覚過敏だ……」医学素人の私でもわかった。五感のうち、視覚と聴覚がえらいことになっている。

詳しく調べると、人によって症状は様々とされながら、書かれていた内容はおおよそ当てはまっていた。

だが、どうすれば治るのか、服薬で治るのか、具体的な解決策は書かれていなかった。

 

2021年5月7日(金曜日)

ようやく連休が明け、かかりつけ医に無理を言って診療時間外ギリギリに診察してもらった。起こったことを全て書き留めた紙を見せたところ、診断書の内容ではなく、感覚過敏というのが正しいでしょう、となった。

根本的な原因は、まだ完治していない持病の精神疾患と、就活による過度のストレス。服薬のバランスを変えた上で、必要に応じて遮光レンズを装用し、それでもダメな場合はカロナールを飲んでやり過ごすしかないらしい。

 

その後

遮光レンズが装着できる眼鏡を買い直した。

これまで掛けたことのないウェリントンタイプのフレームにした。遮光レンズを着けたときになるべく視界の多くをカバーできるようにと、機能性に全振りした結果だ。

 

自室では作業できない性格だから、という理由で事務所作業をしていたのだが、救急搬送以降しばらくの間は事務所に行くのをやめた。

その代わりに、間接照明だけが使われ、学生であれば無料で利用できる、私にとって救世主とも言えるコワーキングスペースが2駅隣に開業し、そこで作業するようになった。長時間の作業でも感覚を破壊することがなく、最悪の事態に陥っても必ず他の人がいるので安心だった。

 

就活は続けたが、持ち駒を闇雲に増やすことは避けた。今ある予定は全部消化して、全落ちしたらそのときに改めて将来を考え直せばいいかな、と考えた。ある種の諦念ともとれるが、一連の騒動で本当に多くの方々に支えられ、応援されていることを実感し、できるときにできることを尽くそうと決意したのもまた事実。

 

幸いにもこの騒動からさらに2ヶ月を経て、円満にして就活を終えることとなった。

 

一連を通して思ったことや感じたこと

理解され難い身体的苦痛を知った

感覚過敏の範疇であっても、五感のどれが過敏になり、どのような症状があらわれるかは人それぞれだし、漢字が読めない・計算ができない・特定の色を見ることができない・先端恐怖など、私が知らない苦痛だって存在し得る。せめてできることとしては、痛みは分かち合えなくても理解して助けを出す姿勢だと思う。例えばプレゼンのスライドにUDフォントを使うとか、刺激色ではなく目に優しい色を使うとか、情報を詰めすぎないとか。

 

倒れたのがGW前半でよかった

あまりにも不幸中の幸いすぎる。GW後半を回復期間にあてて、連休明けには何事もなかったかのように就活を再開させることができた。もしこれが寸分でも違って、就活のスケジュールそのものに何かしらの影響が及んでいたと思うとゾッとする。

 

自己管理できるようになった

これまではなかなか目の前の作業に身が入らず、過集中に身を任せて切り抜けてきた。それが長時間パソコンを見ることもままならなくなったことで、余裕をもって作業にあたり、適度に休憩を取るようになった。今日はこれ以上作業できないなと思ったら、読書したり家事に手を付けたり、あるいはラジオを聴いたり散歩に出掛けたりするようになった。信じられないほど有意義な時間の使い方だ。

社会人になったら、こんなに自分で自分の行動を裁量できないと思う。今でもちょっと頑張りすぎると、感覚がゴリゴリやられて翌日以降のパフォーマンスに響く。どこに線を引くか、その判断は今後の課題だと思う。

 

お薬手帳は常に持ち歩くべし

特にいつも飲んでいる薬がある人。いつ何が起こるかはわからない。心臓発作で倒れるかもしれないし、わき見運転に轢かれるかもしれない。自分の口や頭が自らの意思で動かせないときに、お薬手帳は身体のトリセツになってくれる。

 

4000字弱の長い長い自分語り、読んでくれてありがとう。