海図の裏紙

我が身に降りかかってきたことをつらつら書きます。

銭湯と武道の話

夏休みの頃まで話がさかのぼる。

思えばこれが地獄の始まりだった。

 

 

学生最後の夏休み、緊急事態宣言でどこにも旅行することができず*1、何なら唯一予定していた旅行が吹き飛び、当然修論の調査にも出られない。雑談ができる同期はみんな働いているし、後輩に会おうにも研究室が遠い(自室から160km先)。

出先で作業ができればまだ良かったのだが、QGISで扱うデータがバリバリの個人情報にあたったため、安易に外へノートPCを持ち出せなかった。そんなわけで、自室に籠ってQGISとにらめっこする日々が二ヶ月続いた。

今見返すと限界を極めているな。ちなみにQGISでの作業自体はとても楽しかった。

 

9月の下旬だったか10月の上旬だっただろうか、自分の所作の「異変」を自覚した。
明確に覚えているのは、出先のコワーキングスペースで椅子を引いて座ったときの動作。他にも、物を置くといった些細なことから自転車の運転に至るまで、「私ってこんな荒っぽかったっけ?」と思うまでになった。

 

地元出身の齋藤孝先生が『孤独のチカラ』という本を書かれている。自らを見つめる行為は、他者と交わる時間とひとりで考える時間の往復でようやく成り立つものであり、極度な孤立は普通に精神的な負債にしかならないと、私はこのときを振り返って思う。

話が逸れた。修論は進んだ(?)が、MPはほぼ0の状態で夏休みの終わりを迎えた。ストレスを抱えると無意識のうちにモノにあたることがわかり、自分が万一所帯持ちになったらどうなるかと想像して絶望したりもした*2

 

 

話は変わって銭湯の話。

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※画像はイメージです

宣言前までは、週一で近所のスーパー銭湯に行くようにしていた。学割で平日は500円で入浴できる。
ひとりで暮らしていると、つい湯船に浸かることをおざなりにしてしまうが、一度心身をぶち壊してからは、定期的な身体と神経のメンテを心掛けている。

 

緊急事態宣言中は臨時休業で足が遠のいていた。
宣言明けの10月第2週、久々に近所のスーパー銭湯へ足を運んだ。

 


しばらくぶりの大浴場。掛け湯を手桶ですくう。自分の身体にかかったお湯が、掛け湯の槽に入ったり他の人にかかったりしないように気をつけながら、サクッと身体を流す。
湯船の前に身体を洗う。洗い場には仕切りがあるが、ここでもシャワーのお湯が他へ飛ばないよう気を配る。身体を洗い終わったら、洗い場と椅子を軽くシャワーで流す。
熱めの大浴槽5分、水風呂30秒、外気浴5分の温冷交互浴を繰り返して、合法的にキマる。自持ちのタオルは浴槽に入れない。外気浴で座る椅子も、座る前と座った後にお湯で流す――――

 

外気浴で放心状態になりながら、自分の荒っぽくなっていた所作が落ち着いていることに気がついた。自律神経が整ったこと以外に、思い当たった理由がひとつあった。

それは、「無心で作法をなぞった」こと。スーパー銭湯とはいえど、ここは公衆浴場。一定のマナーやルールが存在する。これまで日本各地で何度も利用してきたので、そういうマナーやルールは身体が覚えている。
それを無心でなぞったことで、「平常時の自分の所作」へと立ち戻ることができたのだと思った。

 

マナーやルールといえば、日本の武道や芸道なんかがイメージしやすい。ただ単に力量を競ったり、自分の内面を表現するだけでなく、一定の作法が存在することで、それまでどんな精神状態であろうとも平常運転に立ち返り、道としてそれまで積み上げてきたものを遺憾なく発揮することができるのだろう。

乱世を生きた武士が武道に励んだのも、そういった効果を見込んでいたのかもしれない。私は日本史には疎いが、敵と争い、時には人を殺めることもあったであろう武士が、安易に平常心を保てていたとは思い難い。普段の自分を見失っても、武道や芸道にある一定の作法が元に戻れるトリガーとなっていた、ような気がする。

 

とはいえ、現代のサラリーマン全員が武道に打ち込めるわけではない。武道や芸道を現代にあてはめると何になるだろうかと考えると、銭湯やバーはそのひとつであるように思う。いずれもサードプレイスというだけでなく、「みんなが不快にならない範囲で自分の心身を清める」場所ではなかろうか。

他にもそういう仕掛けは街場にあるはずなので、自分でもあれこれ探してみようと思う。大事なのは「平常心に戻れるシステムを自分で把握しているか」だと感じた一件であった。

*1:ひとりで暮らしているので別にどこへ出掛けたって平気なはずなのだが、罪悪感に苛まれながら遠出をするのは、尋常ではなく気が引けた。加えて2021年度上半期を再休学したせいで奨学金が止まっており、旅行資金も足りなかった。

*2:要するに「自分はDVの加害者になる可能性が十分にあること」を自覚したということ。