海図の裏紙

我が身に降りかかってきたことをつらつら書きます。

大学院生が社会人になって感じたこと

修論を書き上げ、晴れて修士課程を修了した。
ちゃんと修士になりました。

あざすあざす。

後ろ2年間は大学院を東京に残したまま(?)、修論の調査対象地にひとり引っ越して、授業とゼミはリモート通学という、想像だにしなかった大学院生活になった。
大学一年生の頃、静岡で独り暮らししてぇなあ~~~って冗談のように言っていたことが、まさか現実になろうとは。


とはいえ、正直、この二年間は結構しんどかった。
ちっとも良くならない精神疾患M3の7月まで無い内定、就活が終わったタイミングでプライベートで事案発生*1人生の進捗における自分の劣り具合同じ境遇の人が全然おらず、相談できずに鬱屈して荒み放題だった精神衛生終わらない修論の進捗等々。


修論を書き上げ、就職に伴って再び上京してきた。
大学の同期はみんないるし、社会人一年目で余計なことに悩まなくなったし、資金繰りが頭をもたげて朝しか眠れない日々も過去のこと。まあちょっとストレスが身体に出てたりはするけれど、しばらくは自分の時間を謳歌できるのが何よりも嬉しい。

ちょうどあーだこーだ悩んでいた去年の10月、小学校の高学年で担任をしていただいた先生と連絡を取り、ご飯で一緒させていただいた。そこで言われたこと、今振り返るとまさしくその通りだな…………と思う。

幸いなことに、修論で書いた内容や、研究室で取り組んでいたことが少なからず役に立ち得る業界で勤めることになった。
実際に研修の段階で、自分が修論の調査や研究で学んだことが、周囲の同期達の中でも唯一無二の経験であることを実感した。
業務に対する習熟度はさておき、ある程度自分なりの問題意識を持ちながら目の前の業務にあたれているのは、ひとりで研究とかNPOでの活動とかに飛び込んでいた2年間があったからこそだな、と強く感じる。

でも、それは研究生活を離れてみなければ、気付きようもなかったと思う

修論を書き上げ、研究成果以上に身に付いた視野や知見があった。今はものすごく価値があるものだと思うけど、組織で働き続けると、ついついその感覚を忘れてしまうような気もする。
今感じている違和感は、フレッシュなまま氷漬けにしておいて、いつかちゃんと手触り感覚のある問題意識として言葉にしたいと思う。

*1:お乗り換えされた。