海図の裏紙

我が身に降りかかってきたことをつらつら書きます。

伊豆諸島で転地療養した話⑥ 波浮港~地層大切断面 そして内地へ

前回までのあらすじはこちら。

アクティビティ・波浮港あるき

昨日も使った大島バスの2日乗車券で、朝から波浮港へ向かった。

ちなみに、波浮港で朝ご飯を食べられるお店はほぼない。予め元町で買っておくことを強く推奨する。

つくりすぎていない、生活感のある街並みが、ぎゅっと詰まっている。

 

海端へ降りると、海水の澄んだ色にこころが溶けそうになった。

 

坂を登る。港町には、必ず猫がいる。

ここにもいた。

 

上から見た波浮港の町並み。見えているほぼ全域が波浮港1番地である。

 

噴火口の縁が崩れて海水が流れ込み、真ん丸の港を成したことが非常によくわかる。

 

高台には船主の住宅が集まる。立派な石垣やなまこ壁が印象に残る。

 

踊り子の里資料館。川端康成著『伊豆の踊子』に出てくる踊り子(薫)は、波浮港出身という設定になっている。「やとなみ」というのは、ここはかつて港屋旅館であったため。

 

船主の邸宅のひとつ、旧甚の丸邸の2階。養蚕ができる建付けになっていたとか。

 

高林商店。駄菓子屋と酒屋を兼ねた感じ。オリジナルグッズも売っていた。

こちらはゲストハウスの青とサイダー
波浮港に移住をされた方々に関する記事はこちら。

オオシマザクラ。水持ちの悪い土地でも根を伸ばせる自生種。
純白の花と新葉が同時に出てきて、春先の島の風景を鮮やかに彩る。

自然と人の営みが隣り合わせである。

 

 

係留された漁船と、幸せの黄色いバス。

 

大島の各集落には、このように地区名の表示板がある。中山間地域でも同様のものがよく見られる気がする。
ちなみにクダッチとは、

そういうことである。

 

 

どうやら都立大島海洋国際高校の船舶らしい。校舎は差木地にある。

 

船も踏切のごとく順番待ちをする。

 

お昼ご飯を「港鮨」さんでいただいた。

余計なものが入っておらず、寿司とはこういうものか、と感じた。本当に美味しかった。
一生に一度は食べておきたいグルメのひとつにラインナップした。

お店の内装もこだわっている。ランチは予約がおすすめ(ほぼ確実に並ぶので)。

 

アクティビティ・地層大切断面と火山博物館

バスの運転手さんの計らいにより、撮影のために2分ほど停車してくれた。
これだけの回数噴火を繰り返した、ということ。伊豆半島側には、あまりこういったわかりやすいジオスポットがなかった気がする。

 

元町集落の最南端にある火山博物館。ここのシアターがすごい、とおすすめされて観てきた。NHK制作で、音響にもこだわっており、旅の始めに見ても終わりに見ても、学びを深めることができる良いスポットだった。

 

リラックス・伊東温泉の共同浴場

岡田港からジェットフォイルに乗り込み、伊東港に降り立った。
平日でも伊東に降ろしてくれる期間は限定されており、割と貴重(似たような寄港地に稲取久里浜・館山がある)。

 

その足で、松原大黒天神の湯へ向かった。伊東の街中には共同浴場が9つあり、6つある財産区で1~3か所の共同浴場を管理している。

信号もあるし、銭湯という存在がすっかり「内地の街」である。

 

 

近くて遠かった伊豆諸島への旅は、幕を閉じた。

 

感想

何より、毎日ちゃんと動けたことは大きな成果だった。加えて、島にちゃんと滞在するという経験は大学三年生以来だったので、トレッキングを楽しめるようになったのもよかった。

帰ってきてから「顔色良くなったね」と言われることも増え、転地療養としては大正解だったように思う。とはいえ、帰ってきてから数日でまた体調がガタっと崩れたりしたので、あくまでひとつの弾みをつける機会でしかない。

 

アテンドしてくれたサークル同期の言葉を借りれば「ふらっと気軽に訪ねられる島」である。これまでの私の島旅は南西諸島が中心だったので、岡田港を出て35分で伊東というのが不思議な感覚だった。それだけ身近にあるのだ。

 

実は東伊豆も全然降り立ったことがないし、フェリーあぜりあと組み合わせて他の島もゆくゆくはまわってみたいな、と思う。

末筆ながら、神津島・大島でご親切にしていただいた皆様、そして仕事の片手間ながら丁寧にアテンドしてくれたサークル同期に、心から感謝申し上げます。

伊豆諸島で転地療養した話⑤ 大島公園~三原山

前回までのあらすじはこちらから。

 

momomomoはいいぞ。早朝からやっているため、朝5時にフェリーから追い出されても問題なし。ちなみに御神火温泉もフェリー旅客に対応して朝早くから営業している。

 

この日から2日間は、大島バスの2日乗車券を活用して移動した。なお、バスは本数が限られているため、予め綿密にスケジューリングする必要がある。

アクティビティ・都立大島公園 椿園

椿の園芸種なんて、注意して見たこともなかった。写真はそれらのごく一部である。

一つひとつの樹の下には品種名と系統がプレートで表示されている。それらを見るだけでも結構面白い。

 

園内では大島桜も満開だった。

 

 

ちなみに、椿の学名は"Camellia japonica"、茶の学名が"Camellia sinensis"*1であることからもわかる通り、ツバキとチャノキは同じツバキ科ツバキ属の植物である。にもかかわらず、椿がこれだけ多種多様な品種に恵まれたことと、茶が在来種や実生から"やぶきた種"一辺倒にシフトしたことは、同じ嗜好品でありながら全く対極的であり、茶の工業的側面を伺い見ることができる気がする。

 

アクティビティ・都立大島公園 動物園

溶岩や自生林を活かした公営の動物園。入場無料なのに、私が訪ねたときは誰もお客さんがいなかった。もったいない…………

 

一番の見どころはレッサーパンダ(多分)。

気のせいか、ちょっと忙しなく動いていた。かわいかった。

 

他にも、

 

そしてこいつが、大島の貴重な自生種や農作物を食い荒らす「キョン」である。

夜に山に近づくと、こいつの遠吠えを聞くことができる。

 

アクティビティ・三原山トレッキング

大島公園から三原山へ向かう、一日1本しかないバスに乗った。
バスで下山するには、出帆港へ降りる1時間後のバスしかないため、乗客は私だけであった。いいのかこんなに接続悪くて。

圧倒的カルデラが、私を、君を待っている。

 

その前に腹ごしらえ。

リノベーションして間もない「御神火茶屋」にて。カルデラを目の前に、ソンを聴きながら食べるバターチキンカレーの、まあ美味いこと美味いこと。三原山での腹ごしらえには絶対におすすめしたい。

いよいよ山登り開始。

1986年11月に大規模噴火を起こし、全島避難となった伊豆大島三原山の登山道にはシェルターが設置されている。

そのときの溶岩流で分断された遊歩道。

 

火口からあふれた溶岩流の跡が、黒く膨らんで残っている。とてもわかりやすい。

 

左下から写真中央まで伸びており、突端部が先ほどの遊歩道の分断地点。
その奥に見える、一番大きな鉄塔が「伊豆大島デジタルテレビ中継局」で、伊豆大島の西半分と利島をカバーしている。

余談だが、実は伊豆大島にはもうふたつテレビ中継局がある。ひとつは「波浮テレビ中継局」で、島の南部にあたる差木地から波浮港をカバーする。
もうひとつが「伊豆東海岸デジタルテレビ中継局」で、これは相模灘を挟んで対岸にあたる伊豆半島の、伊東市川奈~下田市須崎あたりを広範囲にカバーする。御神火スカイラインの中腹にあるため、ここからは見えない場所にある。

送信所の管轄は関東総通局なのに、放送区域は東海総通局の管轄……という、ちょっとややこしい例。ここでも、伊豆半島と伊豆諸島の関係を垣間見ることができる。

 

山頂にたどり着くと、お鉢回りのコース唯一の建物を目にすることができる。お手洗いと、その上には展望台がついている。

 

噴火の記憶も新しいことから、山のあちこちに水準点や観測装置が見られる。

 

表砂漠。

 

神津島の天上山とは逆側から見る形になる。
右手前が利島、左奥が鵜渡根島と新島、さらにその奥にぼんやりと見えるのが神津島と思われる。神津島の手前に式根島が見えているらしいのだが、私にはギリ見えない。

 

中央火口。その迫力は、写真で伝えることはほぼ不可能とされる。

 

今でも水蒸気が火口の所々からあがっている。

地面もほんのり温かかった、気がする。

お鉢の縁をてくてくと登ってゆく。

これは1986年の割れ目噴火でできたB2火口。B火口列をなす火口のひとつ。
このほかにもC火口列ができ、こちらから流れ出た溶岩流は元町集落ギリギリに迫った。

マジでそこだけ地面がストンと落ちている。
写真だけ見ると、一瞬なにかのバグにも見える。

お鉢から下り始めている。対岸が遠い(房総半島)ので、水平線が薄く、船が浮いているように見える。

 

何かに毒されており、富山県にしか見えない*2

 

なにかに見える気もするし、そんなことはない気もする。
ロールシャッハテストみたい。

 

裏砂漠。ちょっとこれを登りきる勇気はなかった。なにせ轍のようなものがない。

これだけ見ると、まるでアフリカにでも飛んだような気持ちになる。

 

ちなみに伊豆大島の上空は、西日本から羽田空港へ着陸する飛行機の定石ルートとなっているため、神津島では一切の音がなかったのに対して、こちらはかなりうるさい*3

 

三原山温泉に到着。ここまで8km強を2時間半弱で歩き通した。歩数は11000歩。
相変わらず汗だくなので、汗を流して湯浴みのお時間。

 

帰りの御神火スカイラインからの夕焼けと、元町集落の夜景。

 

御神火スカイラインを下りきる手前に、大島町メモリアル公園が整備されている。
2013年の台風26号による豪雨被害により、元々集落があった場所に土石流が流れ込んだ*4。その場所につくられたのが、この公園である。
そこに営みがあったようにはとても思えない空気だった。ストリートビューアーカイブを片手に、明るい時間に再訪したい。

 

本編⑥へつづく。

*1:"sinensis"とはつまり"Sinae"+"-ensis"、Sinaeは支那=中国のこと。

*2:ちなみに私のノートPCは、未だに"こころのないめん"と打つと「心の内免」と変換したりする。

*3:Flightrader24のPlaybackから、48倍速くらいで眺めてみるとよくわかる。その割に、羽田を離陸した飛行機が地元上空を通る音はあまり聞かないような…………。

*4:ちなみに先述の伊豆東海岸デジタルテレビ中継局も被害を受けた。

伊豆諸島で転地療養した話④ 伊豆大島夕焼けサイクリング

前回までのあらすじはこちらから。

上りのさるびあ丸で伊豆大島へ移動した。

アクティビティ・夕焼けサイクリング

岡田港到着後、元町まで移動して宿に荷物を置き、自転車を借りてサンセットパームラインへ繰り出すことにした*1

 

大島一周道路のさらに海側を通る。信号も電線もない。

 

この日はよく晴れていて、伊豆半島の輪郭がはっきりと見えた。中央右寄りが大室山(なのでそのすぐ直下は伊豆高原)、その左に見えるいびつな形の山が矢筈山、左端は遠笠山である。

 

もうだいぶ日も低くなっていた。

 

 

島の一番北西にあたる野田浜に到着。ここで日没を待つことにした。

 

右手に見える乳が崎の頂上部分は、木々が北西の風に煽られ続けて育ったことがわかる。

冬場を中心に、遠州のからっ風が駿河湾の上空を通って伊豆大島を直撃することが多いことの表れである。伊豆大島伊豆半島と房総半島に守られる位置関係にあり、赤城おろし*2関東平野を通り抜け、北から伊豆大島に吹き付けることもあり、遠州のからっ風との収束線が日によって大きく変化する。その時期にWindy.comを見ると、それが非常に顕著にわかる。

 

 

一度は厚い雲に隠れてしまった夕日だったが…………

雲と山の稜線の間から再び顔を出し、日輪を紫に染めながら

天城連峰の南の裾野へと沈んでいった。一日を名残惜しく締めるかのようにも見えた。

 

アクセスが多少不便なこともあり、混雑知らずで広々と夕焼けを楽しむことができた。

帰りは空港下のトンネルから空港前を通りながら、大島一周道路から帰ってきた。信号がなかったこともあり、12kmを48分で走り抜けた。

 

リラックス・御神火温泉

かねてより耳にしていた御神火温泉。

www.town.oshima.tokyo.jp

洗面ブース、寝湯(ぬるい)、気泡浴、普通の湯舟(熱すぎない)、水風呂、サウナ、涼み場が全て整備されている。温泉にしては不思議な香りが印象的だった(おじいちゃんのにおいに酷似しており、懐かしい気持ちになった)。

神津島ほど集落から温泉が離れておらず、湯浴みを楽しむ子ども達の姿も見られた。
年齢関係なく、生活に温泉が根付いている暮らし、うらやましい*3。東京でも銭湯はあることにはあるが、子連れの姿はあまり見ないように思う。

 

本編⑤へ続く。

 

*1:当初は翌日の島内一周用に原付を借りるつもりが、レンタル屋のおばちゃんに「原付に乗り慣れていない人には貸すなって警察から釘を刺されてるもんで」と言われてしまい、やむなく電動自転車を借りた。しかし、その補助力は都内の各種バイクシェアの自転車と大して変わらず、脚部に痛みがあったことや、大島在住の友人のアドバイスも受けて、その電動自転車は翌朝に返却することになる。ただ、折角借りたなら日没を浜の湯で過ごすのはもったいないとも言われ、急遽予定を変更したのだった

*2:群馬県立前橋高等学校の校歌は、「赤城颪に送られて~」という歌い出しである。

*3:離島ゆえにプロパンガス使用が中心となること、御神火温泉の年間パスポートが最強だから、と島在住(当時)のサークル同期が言っていた

伊豆諸島で転地療養した話③ 神津島村落あるき~星空観察

前回までのあらすじはこちらから。

アクティビティ・村落あるき

島上陸2日目。この日は断続的な雨予報。
午前中にサクっと村落の中を歩いて、午後の雨が止んでいるうちに温泉にまたゆっくり浸かりに行こうと考えていた。

 

掬って食べたいほど海が青い。でも防波堤の向こうは白波が目立つ。
さるびあとドルニエは通常運行、下田船は欠航という町内無線を聴いた。

 

…………どう見ても2項道路のオンパレード。
でもそういった路地空間にこそ、生活感が宿り、人を誘い込む魅力を醸すものだと感じる。

 

蛇行する坂道+擁壁を見ると、東伊豆のまちの景色と重なるものがある。

 

猿田彦大神。村落のあちこち、特に道の角によく見られる。
ひとつとして榊を欠かしたものはなく、誰がどのようにお供えをしているのかが気になった。

 

漁具、そのへんに打ち棄てられるもの。
既に生活の気配のない土地や家屋に附随することが多く、崩れてなくなるまでの時間を寄り添って待っているかのようにも見える。

 

村役場。新しい建物ではないと思うが、「神津島村役場」の文字の重厚感と、飴色のタイルの渋い温かさが結構好きかもしれない。

 

カラス。天上山でも何羽か見たけど、こちらのカラスはゴミを荒らしたり、無闇に鳴いたりしないので、そんなに悪い印象を受けなかった。

 

神津島にもアニメイトがあった。

 

扉の閉ざされた民宿たち。
扉こそ閉ざされているが、間取りは完全に民宿仕様なのだとか。

 

物忌奈命神社にやって来た。
古くから付け替えられていないけど、大切にされてきたであろう石段。

 

さすがは漁業の島。島内にいくつか派閥があったのだろうか。

 

参道はとあるおじいさんが丁寧に掃除をしていた。
景観のつくり手としての、地域社会への参画。掃除もそのひとつ。

 

非常に立派な神社で、境内には末社がいくつも祀られていた。
さすが神の集う島だけある。

 

何にも気にせず、いろいろ楽しむことができる島だな、と感じた。
伊豆諸島と関わりの深いサークルの友人曰く、「何も考えずにふらっと来れるのが伊豆諸島の良さ」だそうだ。

 

思えば伊豆半島には足繁く通っていたし、県内にも都内にも長く住んでいたし、何なら曽祖父は伊豆諸島との関わりが深い人だったと聞いている。伊豆諸島は「近いようで、とても遠い島々」だったし、島に行くと言えば私は南西諸島だったので、そこに“ふらっと”という感覚はなかった。

 

伊豆半島東海岸を彷彿とさせる景色、島の方々の口からは耳馴染みのある方言が飛び交い、挙句テレビは伊豆半島東海岸と同様に、在京キー局と在静局の両方が映る。ラジオに至っては地上波はSBSラジオしか入らないのだそう。

ここはリトル静岡である。でも東京都である。

 

リラックス・神津島温泉保養センター

昨日と同様、神津島温泉保養センターで入浴。1時間半くらいかけて、温冷交互浴を満喫した。

この日は往復ともバスを利用した。ちなみに、Ringo Passを入れて初期セットアップをしておくと、キャッシュレスでバスに乗車できる上に、利用後アンケートに答えれば、観光協会で島グッズを入手できる。内地に戻っても、シェアサイクルのポート状況を確認できる、ちょうどよいツールとして使える。

 

アクティビティ・星空観察

神津島は星空保護区として、街灯の規制などを行い、村落からあまり離れずに星空観察を楽しむことができる。

神津島が星空観察に向いている理由としては、東側に山が聳えているため、早い時間の月の出を気にする必要がないことがあるように思われる。

前日に星空ガイドさんに案内してもらったときは、厚い雲に覆われて流星がひとつ見えただけで終わってしまったが、この日はよく見えた。とはいえまだフルパワーではないようなので、夏の天の川のシーズンにもう一度リベンジしたい。

 

本編④へつづく。

伊豆諸島で転地療養した話② 神津島上陸~天上山

前回までのあらすじはこちらから。

神津島上陸

船舶交代から復帰したてのさるびあ丸で、神津島・前浜港に上陸。そのままフェリーターミナルにある観光協会の窓口で、予約していた民宿の宿泊代金を支払い、民宿へ直行。
荷物を置かせてもらい、宿のご主人のご厚意で、そのまま黒島登山口まで車に乗せてもらった。

 

ちなみに、神津島の多くの民宿は観光協会のホームページがワンストップの予約窓口になっているが、一部の宿泊施設は直接電話や専用予約フォームからの予約になる(例:GUEST HOUSE テラマチなど)。季節民宿含め、現時点で営業の保証されている宿泊施設の一覧はこちらから。

 

アクティビティ・天上山トレッキング

急な西斜面をつづら状に登っていくコース。
比較的低い植生のため、常に村落を下に見ながら登っていく。

あんまり自生の松って見たことなかったかもしれない。

 

登りきると、黒島展望台・千代池・裏砂漠への近道の3本の道がある…………はずなのだが、轍が草に隠れてしまっており、ひとりで進むには心もとない。最もそれらしい道である千代池の方角へ一旦降りるのが安全だと思われた。

 

誰かが彫刻石を切り出したのではないかと思うようなフォルムの岩々が並ぶ。

 

上から見た裏砂漠。写真の右手から中央奥へと進む。

 

風はなく、足を止めれば、耳鳴りも黙るほどの無音に身を包まれる。
壮大な光景を目の当たりにしているはずだが、脳内のどんな音も呼び起こされず、ただその贅沢な静寂を味わうのみであった。

 

裏砂漠展望地から。真っ正面に見えるのが三宅島。
2000年から、足掛け5年間の全島避難を強いられた島である。

 

南天(?)。庭先の植木でしか見たことがなかった。

 

カラスが見つめる先にいるのがフェリーあぜりあ。島で「下田船」と呼ばれる通り、伊豆半島下田港から、利島・新島・式根島神津島を巡行する。
伊豆諸島唯一のカーフェリーだが、岸壁の高さとフェリーの高さが合わないことがあるようで、必ずしも車輛が輸送できるということでもないらしい。また、下田発の便は朝が早いので、島の方々は乗るインセンティブに乏しい様子がうかがえる。

 

ただ、カーフェリーにしては小振りなフォルムが独特で愛らしく、一度は機会をつくって乗ってみたいような気もする。

 

このわずかな地表のひだ一つひとつにも固有の生態環境があると思うと、自然環境にとどまらずローカルな生態ってどこまでも探り甲斐のある分野なのかもしれない……と、ふと思ったりもした。

 

確か天空の丘からの風景。
左手前が式根島、その右奥が新島。さらに左奥の円錐型が利島。

 

表砂漠。裏砂漠ほどではないが、ここもやはり無風である。
こういった砂地に染み込んだ雨水は地下水へと形を変え、神津島の村落を潤してきた。

 

その壮大さは、写真で伝えることは不可能だと学んだ。

 

白島下山口から村落まで下りた。9.5kmを4時間で踏破。歩数は15210歩。

 

リラックス・神津島温泉保養センター

民宿に戻り、再び宿のご厚意にあずかり、温泉保養センターへ向かった。

見事に写真を撮り忘れたので、リンクだけ。

温泉“保養”センター、である。言うまでもなく、療養には当然うってつけである。

露天風呂の使用ができないため、通常よりも安い400円で入浴が可能。
中には洗面の一角と、ぬるめの湯舟・気泡浴の湯舟・少し熱めの湯舟と、サウナと水風呂、それから涼み場が整備されている。

 

三月の初旬とはいえ、天上山の植物は腰ほどの丈しかなく、砂地では容赦なく太陽光が照り返すため、汗だくの身体にお湯がよく沁みた。日焼け止めも怠ったため、首の後ろや腕の表はヒリヒリと沁みた。

 

温泉保養センターに停まるバスは一日上下4本ずつしかなく、赤崎遊歩道で折り返す同一便は25分で戻ってきてしまうため、夕方に行く場合は高確率で村落までの徒歩となる。

帰り道は徒歩40分ほど。夕方の凪が気持ちよかった。

 

本編③へつづく。

伊豆諸島で転地療養した話① 転地療養に至るまで

コトのはじまり

昨年の10月31日、職場で急に立ち上がれないほどの腹痛を催し、退勤即救急外来をキメこんだ。これがまさか最終出勤になろうとは、その時はゆめゆめ考えもしなかった。

 

テレワークすら耐えられないほどにまで悪化し、病気休暇を取得した。年末直前と1月末にそれぞれ復職を試みたものの、1回目は産業医がゴネて、2回目は直前に私の意欲減退があたって失敗。結局2月から休職にもつれ込んだ。

 

この間に様々な症状に見舞われ、ことごとく原因不詳のために手も施せなかった。
痛み苦しみを耐えながら起き上がるだけの意欲もなく、起き上がった後に行動するだけの目的も失い、その姿はさながら生きる屍やゾンビとも称された[要出典]

 

この生活を…………変゙エ゙ダ゙イ゙…………ッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!

 

病院にて、かくかくしかじか話したところ。

かかりつけ医「転地療養やってみたら?」
私「行きます(即答)」

 

(個人的な)転地療養のルール

かくして、旅k転地療養をすることになった。
普通の旅行と区別をするため、自分で以下のようなルールを定めた。

  1. 長距離歩くアクティビティを毎日取り入れる。
  2. 温泉(最低でも湯舟)に毎日浸かる。
  3. 移動日は連続させない。

 

これらのルールに足る行き先に選ばれたのは、伊豆諸島でした。
(ぜひIslands Blueを聴きながら続きをご覧ください)

東京から近く、万一旅程が崩れてもリカバリーが容易なこと、そもそもくたばっている間にサークルの同期たちと行く予定があったことのふたつが、最終的な決定打となった。

アイランドセラピー、とでも呼んだらよいのだろうか。
先に書いたルールに則って、各所からの助言や大学院までで自分が学修した内容を基に、行程を組み立てた。

 

本編②へつづく。

旅は行けるときに行き、帰れるうちに帰るべきである③

写真マシマシでお届けしております。

沖縄らしいブロック塀の道

沖縄らしい、これまたブロック塀とフクギ並木の道

沖縄らしい、フクギ並木と石敢當の道

沖縄らしい、フクギ並木に吸い込まれそうな道

歩いているだけで活力が戻ってくる沖縄のチカラはすごい。



ハテの浜みたいな、連れがいても来れそうな観光スポットは訪れなかった代わりに、ひとりでないと訪れられないような場所も行ってみた。

久米島とつながる橋から。海はすごく青い。

久米島の南東に位置する奥武島。島を突っ切るように農道をひたすら歩く。

こんな道が延々続く。頼りになるのは自分の足だけ

いくらサトウキビ畑と云えど、こんな有様だとちょっと人間の気配を感じられない

台風が近いせいもあって、草がなびく音と電柱が風を切る音しかしない

奥に見えるのがオーハ島。嘘か真か、とある指名手配犯が自らを匿っていたことでいっとき有名になった
道中やけに不気味な雰囲気を感じたのは、予めそのことを知っていたからだろうか。

とはいっても、住基台帳の上では8人の定住人口がいるらしい

 

この写真の手前に一台の車が停められていた。その場には自分以外の姿が見えず、不気味だったので遠巻きに写真を撮って、逃げるように奥武島のバス停へ戻った。

奥武島の畳石。今こうやって見ると普通にきれいだ

難易度高すぎるバス停。

民宿まで帰り、夕飯と買い出しを済ませた。翌日以降の幽閉生活に備え、集落のスーパーで2Lのさんぴん茶と、小腹が空いたとき用に集落のおばあちゃんが作ったと思しきサーターアンダギーを買って帰った。あとお土産も。

嵐の前の静けさってこういうことだと思った。

宿にあったJAのカレンダー。ウチャトーが気になる

 

翌日。

なんかめっちゃ晴れとるけど?

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なんと翌日のプロペラ便が飛んだので、当初の「帰れるうちに帰る」という宣告の通り、滞在わずか24時間で久米島を去ることになった。前の晩に買った2Lのさんぴん茶とサーターアンダギーは、スーツケースに詰めて東京まで持ち帰ることになった。

リフレッシュの時間としては本当にわずかだったけれど、集落や畑や浜の風景にめちゃくちゃ癒された、濃密な時間だった。こんな弾丸旅行、連れがいたら絶対にできない。あと、久米島に幽閉された世界線の旅行もやってみたかった。

久米島で唯一使った交通手段こと町営バス。運賃がえらい安い代わりに、車内アナウンスは皆無に等しく、島民の中学生ですら乗り過ごしていた。やっぱり難易度高すぎる

ちなみに帰りの飛行機、那覇→羽田はスカイメイトで押さえたので、元々取っていたLCCのチケットはキャンセル。ただし、台風の影響もあってほぼ全額がポイントで戻ってきた。今回遂行できなかったアイランドホッピングは、このポイントを使って冬にでも行こうと思う。