海図の裏紙

我が身に降りかかってきたことをつらつら書きます。

伊豆諸島で転地療養した話⑥ 波浮港~地層大切断面 そして内地へ

前回までのあらすじはこちら。

アクティビティ・波浮港あるき

昨日も使った大島バスの2日乗車券で、朝から波浮港へ向かった。

ちなみに、波浮港で朝ご飯を食べられるお店はほぼない。予め元町で買っておくことを強く推奨する。

つくりすぎていない、生活感のある街並みが、ぎゅっと詰まっている。

 

海端へ降りると、海水の澄んだ色にこころが溶けそうになった。

 

坂を登る。港町には、必ず猫がいる。

ここにもいた。

 

上から見た波浮港の町並み。見えているほぼ全域が波浮港1番地である。

 

噴火口の縁が崩れて海水が流れ込み、真ん丸の港を成したことが非常によくわかる。

 

高台には船主の住宅が集まる。立派な石垣やなまこ壁が印象に残る。

 

踊り子の里資料館。川端康成著『伊豆の踊子』に出てくる踊り子(薫)は、波浮港出身という設定になっている。「やとなみ」というのは、ここはかつて港屋旅館であったため。

 

船主の邸宅のひとつ、旧甚の丸邸の2階。養蚕ができる建付けになっていたとか。

 

高林商店。駄菓子屋と酒屋を兼ねた感じ。オリジナルグッズも売っていた。

こちらはゲストハウスの青とサイダー
波浮港に移住をされた方々に関する記事はこちら。

オオシマザクラ。水持ちの悪い土地でも根を伸ばせる自生種。
純白の花と新葉が同時に出てきて、春先の島の風景を鮮やかに彩る。

自然と人の営みが隣り合わせである。

 

 

係留された漁船と、幸せの黄色いバス。

 

大島の各集落には、このように地区名の表示板がある。中山間地域でも同様のものがよく見られる気がする。
ちなみにクダッチとは、

そういうことである。

 

 

どうやら都立大島海洋国際高校の船舶らしい。校舎は差木地にある。

 

船も踏切のごとく順番待ちをする。

 

お昼ご飯を「港鮨」さんでいただいた。

余計なものが入っておらず、寿司とはこういうものか、と感じた。本当に美味しかった。
一生に一度は食べておきたいグルメのひとつにラインナップした。

お店の内装もこだわっている。ランチは予約がおすすめ(ほぼ確実に並ぶので)。

 

アクティビティ・地層大切断面と火山博物館

バスの運転手さんの計らいにより、撮影のために2分ほど停車してくれた。
これだけの回数噴火を繰り返した、ということ。伊豆半島側には、あまりこういったわかりやすいジオスポットがなかった気がする。

 

元町集落の最南端にある火山博物館。ここのシアターがすごい、とおすすめされて観てきた。NHK制作で、音響にもこだわっており、旅の始めに見ても終わりに見ても、学びを深めることができる良いスポットだった。

 

リラックス・伊東温泉の共同浴場

岡田港からジェットフォイルに乗り込み、伊東港に降り立った。
平日でも伊東に降ろしてくれる期間は限定されており、割と貴重(似たような寄港地に稲取久里浜・館山がある)。

 

その足で、松原大黒天神の湯へ向かった。伊東の街中には共同浴場が9つあり、6つある財産区で1~3か所の共同浴場を管理している。

信号もあるし、銭湯という存在がすっかり「内地の街」である。

 

 

近くて遠かった伊豆諸島への旅は、幕を閉じた。

 

感想

何より、毎日ちゃんと動けたことは大きな成果だった。加えて、島にちゃんと滞在するという経験は大学三年生以来だったので、トレッキングを楽しめるようになったのもよかった。

帰ってきてから「顔色良くなったね」と言われることも増え、転地療養としては大正解だったように思う。とはいえ、帰ってきてから数日でまた体調がガタっと崩れたりしたので、あくまでひとつの弾みをつける機会でしかない。

 

アテンドしてくれたサークル同期の言葉を借りれば「ふらっと気軽に訪ねられる島」である。これまでの私の島旅は南西諸島が中心だったので、岡田港を出て35分で伊東というのが不思議な感覚だった。それだけ身近にあるのだ。

 

実は東伊豆も全然降り立ったことがないし、フェリーあぜりあと組み合わせて他の島もゆくゆくはまわってみたいな、と思う。

末筆ながら、神津島・大島でご親切にしていただいた皆様、そして仕事の片手間ながら丁寧にアテンドしてくれたサークル同期に、心から感謝申し上げます。