海図の裏紙

我が身に降りかかってきたことをつらつら書きます。

関西視察①若狭小浜

3泊4日で関西に出かけてきた。
いろいろ見ることができたので、忘れないうちに記録として残しておこうと思う。

重伝建・若狭西組

小浜駅で降り、5分ほど歩くと「小浜市まちの駅」がある。
ここで電動自転車を借りて、まちを巡ることにした。

 

まず向かったのは、伝統的建造物群保存地区にも指定されている「小浜西組」という地域。
小浜のまちは城下町で、1600年代の後半に東組・中組・西組に分けられて今に続いている。このうち西組は、当時の町割りや街路がよく残っているということで重伝建に指定されている*1。町割りに限らず、明治期に至るまで何度も大火に襲われているものの、1888年以降の伝統的建造物もよく残っている。


色とりどりのうだつが上がるまち。

 

まちの中は○○区という具合に分かれており、祭礼もこの自治区ごとに出し物が輪番で回ってくる。

さすが城下町と港町を兼ねているだけあって、寺院がとても多い。

青字が区名にあたる。写真がボケているのは堪忍

まちなかの建物のいくつかは、リノベーションが(恐らく)されて「小浜町家ステイ」というハイエンドな一棟貸しのサービスで泊まることができる。

小浜町家ステイの暖簾がかかっているのですぐわかる

一方で、空き家の状態が長く続いたのか、有効活用を待たずに朽ちかけている建物も。

 

地蔵盆の文化が残っており、街角のあちこちにお地蔵さんを見ることができるが、小浜のお地蔵さんは変わっていて、「化粧地蔵」なのだ*2

東日本文化圏の身からすると、街角のあちこちにお地蔵さんが鎮座している光景は、「信仰」という形でまちに手入れがなされているのが見えているようで、見るたびに興味深いなと思ってしまう。

 

お!なんと飾り付け前の曳山が出ているではないか。
実は小浜を訪ねた次の土日に、祭礼である「放生祭(ほうぜまつり)」が開催されるらしい。

西組に限らず、中組・東組からも出し物がある。そうか、一週間来るのを誤ったな……と思ったが、間違いなく宿が取れないだろうな。

 

伝統的なうだつの建物だけでなく、少し近代的な建物も。

 

三丁町の蓬嶋楼

西組の一番西側、三丁町にやってきた。ここまで見てきたのが商家町だったのに対して、ここは茶屋町である*3

 

運良く、土日限定で見学ができる「蓬嶋楼」を見せていただけることになった。
愚かなことに、建物全体の写真を撮り忘れた。

 

というのも、ちょうど蓬嶋楼の向かいの建物で、子どもが舞踊の練習をしていたのだ。正確には、子どもが「あと1週間しかないんだよ??やる気ある??」と師範に詰められていたところだった。表の障子が外され、通り側から大人たちがベンチに腰掛けてそれを見ていたところに、たまたま遭遇したのだった。
言うまでもないが、この舞踊は放生祭の出し物のひとつである。

 

伝統的なものではなかったが、自分も地域のお祭りの出し物を習った経験がある。たまたま自分は習い始めた年のうちに表に立たせてもらえたが、表舞台で披露できるまでに数年かかった同級生たちの姿も見てきた。

 

特に舞踊のような格式高いものは、幼心にその価値を理解するのは難しい。言われた通りにやっているのに全然認められないのなら、やる気なんか出せるわけがない。

 

でも、そのときに経験したことは、何らかの形で気付きのベースを育ててくれる。だから今は、師範ではない大人たちが励ましたらいいのにな……と、その光景を見ながら思っていた。それに気を取られて写真を撮り忘れた。

 

お洒落なタイル張りの土間。

 

玄関では大きなお稲荷さんの祭壇に迎えられる。神棚はこれとはまた別にある。ちょっとびっくり。

 

花代番付。

 

2階からは、通りの向かいや、

中庭を挟んだ遠景が眺められる。

 

室内は赤い土壁が印象的で、片方の間には三日月(新月)が、もう片方の間には満月が配されている。

 

お手洗いの入り口も兼ねた渡り廊下。銘木が生き生きとしている。

 

大工さんの技術力がふんだんに盛り込まれた意匠があちこちに。

 

木板の赤みが、どことなく民芸の印象を覚える船底天井。


放生祭の様子が、写真で展示されていた。子どもがいっぱいいる!

後ろの土壁も、明治時代のものとは思えないくらいきれい。

 

とかく贅の限りを尽くしたんだな、と強く印象付けられた。意匠もそうだし、それ以上にあちこちの柱が光沢をもっていた。

 

見学を終えて表に出てきたら、さっき舞踊の稽古をしていた建物の隣に住んでいるおばあさんが道に出てきていた。話を聞いたところ、蓬嶋楼の親戚筋にあたるのだそう。そのため、ガイドさんが入るようになる前は、家族でこの建物の清掃をしていたらしい。こんな豪華絢爛で巨大な建物の清掃ともなると、さぞ大変だっただろうというのは、想像に難くない。

この歳になってから、小浜のまちに興味を持ってね……と、いろいろ話を聞かせてくれた。ひとしきり話し込んで、三丁町をあとにした。

 

海沿い

西組の街並みから外れ、海沿いへ出た。
このまちに莫大な富をもたらしたのも、海の恵みであり、北前船による交易でもある。

山の稜線には、巨大な送電線がいくつも立ち並んでいる。いかにも嶺南地方らしい風景だが、海がもたらす恵みだけでは、現代まで地域がもたなかった可能性を感じさせる。

 

 

川崎を挟んで反対側の船溜まり。

 

実はこの船溜まりのほとりに、真水が自噴する場所が2か所もある。

そのうちの片方「雲城水」で、手持ちの空のペットボトルに飲み水を汲んだ。
クセがなく、冷たくて美味しい。すぐそばが海なのに、一体なぜここで真水が……?

もう片方は「津島名水」というらしい。どちらも通りがかったときは、地元の方と思しき人が水を汲んでいた。繁盛しているんだなぁ……。

 

まちをぐるっと一周したところでタイムアップ。まちの駅に借りていた自転車を返却した。

京へ続く鯖街道の起点で、御食国(みけつくに)としても売り出している小浜に来たのに、バッテラのひとつも食べることができなかった。まちなかのお寿司屋さんは、夜はあまりやっていないのだとか。

 

小浜駅からまちの駅に続く商店街のアーケードはとても特徴的で、さながらのこぎり屋根のよう。

調べたところ、かつては全蓋型アーケードもあったようだが、道路の拡張に伴って撤去されたとのこと。

 

バッテラも食べ逃したし、西津のほうも行きそびれているので、またいずれ訪問したいと思う。そのときには、もしかしたらまちの風景がまた少し変わっているかもしれない。

*1:高岡市吉久と同じパターン。

*2:実はこの後、宇治の本町通りでも1ヶ所だけ見かけた。なんの違いによるものなのか、無学な私にはよくわからない。

*3:まさか本当にお茶を出すわけがあるまい。