ファクハク余韻③ナガハシ印刷(株)
前回の記事はこちら。
印刷工場について
東京の鉄砲洲や小石川、早稲田鶴巻町の周辺は、古くから小さな印刷工場がひしめいているのは、既に周知のとおりです。大きな印刷工場の周辺だったり、水を得やすい立地だったり……ザ・東京な地理事情がうかがえます。
では、静岡の場合はどうでしょう。ちゃんと調べていないので何とも言い難いものの、「一定の集積を帯びながら、市街地郊外の複数箇所に分散していた」というのが、今のところの私の予想です。
床面積等の規模にもよりますが、印刷工場が立地するには、最低でも都市計画の用途地域で「住居専用地域」は避ける必要があるので、特に居住用途に供する土地が少ない静岡市だと、機械更新に伴う移転ともなると場所が絞られます。
今後の研究課題ですね。公私ともに印刷会社さんにはお世話になっているし。
印刷機との初対面
今回訪ねたナガハシ印刷さんも、上に考察した通り戦後から静岡の産業を支えた印刷屋さんです。最初は新川越町*1で、その後は中島への移転を経て、平成初頭に現在の安倍川駅東側に拠点を構えます。
でっかい印刷機。我々が輪転機と呼んでいるものの、もっと格が上のもの。
製版の上にインクを落としたものは、一度銅板の上に移され……
確かこのあたりで紙へ複写されると教えてくれたはず。版から直接紙へは写しません。
最初のうちはまるで一つひとつの動作をぬるぬると確認するがごとく動く複写機も、すぐにスピードアップ。目にも止まらぬ速さで紙が送られていきます。
最初に出てきた印刷物が左側。微妙なズレは、技工さんの手で調整されていきます。
裁ち落とし線を見ると、なるほどシアンが大きくずれている。
ちなみにここまでが多色印刷機の様子。もうひとつ、二色印刷機があります。
機械の見た目はさほど変わりませんが、大きく異なるのがこの工程。
…………?
…………!!!!
二色印刷用のインクは、なんと「手練り」です。
シャカシャカシャカシャカ…………
ほら、前回のインクとほぼ同じ色になりました。すごいな。
そんなわけで、二色印刷機から出てきたインクは、ルーペで見てもCMYKのドットが見えないのです。そりゃコストも全然違うなぁ。
その二色印刷機を使って作られている大ヒット商品が……
こちら。いいかげんノートです。
「当たり前」の裏側へのいざない
印刷の出力サイズのひとつに「菊版」というものがあります。
その由来がまたおもしろい。新聞紙サイズを指す言葉ですが、新聞→聞く→菊……という説があるのだとか*2。
丁寧に印刷された印刷物は、それこそほぼ毎日手にするもの。でも、それらがどうやって現物になるかは、私はあまり想像したことがありませんでした。もっぱら、ローカルメディアとかzineとか、内容のほうには興味が向きやすいけど。
木製家具・水産物・農産物・印刷物に限らず、ファクハクを通して6件の工場見学を体験させていただきました。
実際に今この瞬間も働いている人がいる工場。私が修論で取り扱った分野も同じですが、部外者が「おもしろがって」大丈夫なものだろうか……という気持ちは、割と今も変わらずに持っています。
でも、自ら知っている世界を拡張していくことで、物の見方はずいぶん変わるんだな、ということを再認識したファクハクでした。なにより面白いし。
もちろん、分野ごとにキュレーションできる人の存在は必要だと思いますが、「まずは見て感じて、それから考えよう」ということも、大事なのかもしれません。
このまちのまだ知らない世界を見せてくれたファクハク。来年もあるといいな。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
#ファクハク 5件目、ナガハシ印刷さんへ伺いました。公私共々印刷業者さんにはよくお世話になりますが、こんな風に動いているとは全く知らなかった。機械任せな印刷業界のイメージの、そこが人力!?という驚きと、見積書への納得に満ちたレポートは近いうちに上げます。 pic.twitter.com/18ux2ywANG
— Mihi Rope (@mihirope) November 19, 2023
ファクハク余韻②伊豆川飼料(株) ならびに #マグ活
前回の記事はこちら。
#ファクハク 2件目は伊豆川飼料さんへ伺いました。マグロやカツオの加工から出た残滓を原料に、飼料・肥料を製造されています。飼料工場と肥料倉庫でにおいが全然違う!そしてロットによって魚粕の種類も配合も違う。風土に寄り添う工場で、肥料配合WSも体験!レポートは後日あらためて pic.twitter.com/UH0phq7lK1
— Mihi Rope (@mihirope) November 18, 2023
……おかしい。ミラーレスを持って行ったはずなのに、あんまり写真が残っていない。だいぶ話に聞き入っていたのでしょう。
そのツナ缶にはワケがある
最近、このツナ缶をよく見かけませんか?特に静岡在住の方。
淡い水色の「とろつな」は、キハダマグロの「トロ」の部位を使った、ブロック状のツナ缶。
対してクリーム色の「しろつな」は、ビンチョウマグロ(ビンナガマグロ)を使った、フレーク状のツナ缶。一般的にツナ缶といえば「しろつな」の姿が近いですね。
違いをわかりたいあなたはこちらもどうぞ。
仕掛人の名前は伊豆川飼料さん。飼料と肥料の製造を手掛けています。
え?食品産業ではないのに缶詰製造とは。いかに…………?
どうしてここで飼料・肥料を?
その原料がこちら。
これ、なんだかわかりますか?
正解は魚粉です。中に混ざっている白い物体は砕かれた骨の部分。
これがその魚粉の原料となる魚の残渣。パッと見は、骨とどんぐりと落ち葉……
要は大型魚の不可食部分の寄せ集めなわけですが、カラッカラに乾いているので、もとの魚の姿はイメージしづらいような…………?
ここまで書けば、見出しの意味がわかるかもしれません。
清水港や焼津漁港で水揚げが盛んな、冷凍のマグロやカツオの残渣を使って、魚肥をつくっているのが、伊豆川飼料さんの事業の主軸です。
とはいえ、今はマグロやカツオにとどまらず、有機の飼料や肥料も取り扱っています。
客先ごとに「ちょうどいい」肥料を
製品の特性上、肥料のほうが小ロットになりがちです。
で、その小ロットの肥料は、使用する農家さんなどのオーダーに合わせて配合していくのですが…………なにをどれくらい混ぜているかはガチの極秘。伊豆川飼料さんの生命線でもあるので、写真はカットです。
代表的な肥料の配合比率の指標が「チッソ・リン酸・カリ」。それぞれ役割があります。
- チッソ:窒素(N)。クロロフィルの構造に含まれるため、光合成の能力に直結するほか、タンパク質のペプチド結合部分(アミノ酸のアミノ基部分)を構成したり、DNA・RNAの塩基部分に含まれたりと、与えたチッソはそのまま植物の根や茎・葉に取り込まれていく。連作障害の正体は、土壌のチッソ不足であることが多い。
- リン酸:リン(R)を含む、有機化学上で単位物質ともいえる有機物。ヌクレオチドを構成する上で欠かせない。ヌクレオチドにはDNA・RNAだけでなく、エネルギー伝達物質であるATP・ADPも含まれる。実肥とも呼ばれ、結実を促進する作用もある。
- カリ:カリウム(K)。植物の部位を構成するのではなく、いわゆる「補酵素」のはたらき。人間も「栄養摂りなさい」と言われるが、植物も同じ。
土壌や作物によって補うべき内容が変わるので、オーダーごとにここで配合していくのです。
そして #マグ活 へ……
全体を俯瞰すると、「静岡で水揚げされたマグロやカツオのうち、可食部は様々な人の手を通りながら食卓へ、不可食部は飼料や肥料へ形を変えることで、農地や牧場を豊かにしながら、食肉・鶏卵・牛乳や、みかん・お茶・野菜などに姿を変えて食卓へやってくる」という、つながりの中継地になっています。最近の言葉を使えばアップサイクルというもの。
が、しかし。国内における水産加工業、とりわけ静岡県内での缶詰製造が、今めちゃめちゃ窮地にあります。
魚価の高騰や生産コストの急騰により、生産加工拠点は海外への流出が止まらず、大型魚の残渣が国内で発生しない。これが、国内での飼料・肥料生産にも響いているのです。
伊豆川飼料さんに限らず、国内(ほとんどが静岡県内ですが)の缶詰製造業者の足場が崩れつつあるだけでなく、水産加工業もその影響を受けているはずです。
ではどうすればよいか。仕組みを維持することは、ひとりの力では限界があります。
でも、「国内でのマグロやカツオの水揚げ・加工を、"食べて応援"する」ことは、ひとりからでも始められます。
こうして、Twitter上の #マグ活 は始まったのです。
愛と冷蔵庫と #マグ活 と pic.twitter.com/UQb48r2Ps1
— Mihi Rope (@mihirope) December 27, 2023
おかわりいただけただろうか…………。とろつな・しろつなは、「ツナ」がりを生み出すひとつの手がかりなのだ…………。
みなととはたけをひとツナぎ。清見潟のほとりからは以上です。
次の記事はこちら。
関西視察③宇治(建築学会・景観ルックイン)
前回までのあらすじ↓
本当は丹波篠山とか国立民族学博物館とか、あと上狛の茶問屋街にも足を運んだのだが、あまりにも日が経ちすぎ、感想を書こうにも鮮度が落ちている。せめてこの一連のメインディッシュのことくらいは書き残しておこうと思う。
ことはじめ
大学・大学院時代の専攻の先輩から、「日本建築学会 都市計画委員会 グローカル景観デザイン小委員会」というところが主催する「景観ルックイン」にお誘いいただいた。端的に言えば巡検とパネルディスカッションのセットだ。
今回で30回目を数えるものの、コロナ禍で3年間実地開催がなかったとのこと。
今回は「宇治茶の文化的景観」をテーマに据えての開催……ということで、建築学会には縁もゆかりもなかった私も参加することになった。茶流通と空間論を結びつけた議論なんて超レアなので、こういう機会は非常に嬉しかった。
まずは山本甚次郎邸へ。製茶工場の見学
9月11日(月)の13時。JR宇治駅前に集合。参加者およそ46人のうち、建築学徒の皆さんが26人も。若い~~~~~、!!って思いながら、3班にわかれたうちの一班に混ざった。
まず訪ねたのは、JR宇治駅にほど近い宇治橋通りにある「山本甚次郎邸の製茶工場」。
街中にあるものの、立ち位置は「茶農家さん」である。
オモテは小売りができる店間になっており、その裏に製茶工場がある。よく旧市街で見かける、表は店間や事務所で裏や二階が工房、という造りの例に漏れない。静岡の街中にある茶問屋さんも、大概二階に仕上工場を抱えている。
製茶工場。煉瓦造の製茶機械が非常に印象に残る……と思いきや、こいつは乾燥炉。
機械の端から撮影しており、駆体の全長は真ん中で光っている蛍光灯のあたりまでしかない。大正末期の発明品なので、当然電力駆動ではない。
乾燥炉の手前には、冷却用の散茶機がある。レーンの下側から風を送り込み、蒸した茶葉を高く飛ばすことで、冷却工程と重なった茶葉を引き剝がす工程を兼ねている。
この手前には蒸熱用の機械もあったはずなのだが、写真には残っていなかった。2階にあったような気もするが、いずれにしても蒸熱用の設備はそれほど大きくないのだと思う。
そう。煎茶の製茶工程に比べると、物理的に占有する面積がはるかに少ない。
煎茶の場合、最も規模の小さい35kラインは見たことがないのだが、次点である60kラインは最低でもここの3倍近くの面積を取らないと、設備が入りきらなかった記憶がある。ひと昔前の茶部屋でさえも、こんなにコンパクトではなかったはずだ。
専有面積の差分のほとんどが、碾茶の製茶工程には存在しない部分の機械である。葉打ちは散茶に代えられており、揉みは工程そのものが存在しない。
もちろん、近代化の進んだ機械ならもう少し違うのだろうが、同じ日本茶でもここまで違うか……という感想を持った。そりゃあ静岡の煎茶産地で抹茶をやろうというのは難しいわけだ。材料もそうだが、システムが全然違う。
もう100年近くを生きているこの機械。壊れた部品は山本さんご自身で見繕っているらしい。機械全体の仕組みを熟知しているからこそ成せる技だが、なかなか手間がかかっていそう。
ちなみに、店間で売る用の抹茶をつくるために、2台だけだが石臼もある。
堀井七茗園の抹茶工場へ
次に訪ねた堀井七茗園さん。ここはいわゆる「茶商さん」だ。
宇治における茶商さんの役目で特徴的なのは、合組後に「石臼挽き」をするところ。煎茶でも同様に茶葉の形状を整える役割はあるものの、石臼という道具を用いて、ここまで大きく茶葉の形状を変えるとなると、ひとつの役割として合組とは独立しているように見える。
石臼のミクロ接写。荒茶を真ん中に流し込むので、中心の溝は深めに切られている。外縁に向かうに従って、その溝は浅くなっていく。
専務さん(?)に尋ねたところ、宇治の茶問屋は江戸期から抹茶を取り扱う比重が大きい一方で、上狛は静岡と同様に、明治期に日本茶の輸出が伸びたときに隆興したところで、取り扱うのはもっぱら煎茶だという。
どうして上狛だったのかというと、茶産地に近接していながら、木津川の川運で大阪まで運び出すことが容易な場所だったから……らしい。
堀井七茗園・店舗へ
六代目園主の堀井社長から、様々なお話を伺うことができた。
- 宇治から入った山間地の抹茶は「松のみどり」、宇治川が形成した扇状地で栽培された抹茶は「竹のみどり」と呼ばれる。
- 昔は「ほいろ師さん」や「お茶よりさん」などが、日本酒の杜氏さんの如く出稼ぎに来ていた。記憶の中では天理から来ている人を覚えている。お茶よりさんは茶摘み要員でもあった。
- 自園は店舗の近く。他にも特定の農家さんと半世紀も直接契約している。
「出稼ぎの受け皿」という視点は、静岡の茶業ではあまり見られなかった気がする。あくまで予想だが、宇治や山城に比べて静岡は茶業が面的に広く営まれていたため、茶業地域の外縁を除けば、だいたいどの地域も繁忙期が重なること、静岡では生産よりも流通で出稼ぎ要員が活躍していたこと*1が、出稼ぎの規模感に違いをもたらしていたのではないか。加えて、農山村地域同士の往来という観点だと、畿内(特に京阪神付近)よりも静岡県内のほうが難易度が高い気がする。
寺川茶園へ
中宇治の街中には、今でも茶園が残されている。そのうちの一ヶ所に足を運ぶことができた。
地図の中心がその茶園。航空写真にしてちょっと引いてみると、ほかにも茶園があるのがよくわかる。
そして、茶園には寒冷紗をかけるためのポールが立っていることも、航空写真からよくわかる。
実際はこんな感じ。碾茶は摘採の2週間ほど前になると、寒冷紗をかけて日光を遮る。この点も一般的な煎茶とは異なる。
管理している農家さんのマメさがうかがえる。敷き草は遠いと琵琶湖あたりからも取ってくることがあるとか。このあたりには茅場がないのだろうか。
それと、住宅街に隣接する茶園は、品質に影響が出るとか、逆に居住環境側に影響が出るとか、そういったことはクリアできているのだろうか。生産緑地の持続性という観点からも気になる。
パネルディスカッション
「お茶と宇治のまち交流館 茶づな」へ移動してパネルディスカッション。雑感だけ書き留めておくが、すでに「宇治茶の文化的景観」としてユネスコの世界文化遺産への登録に向けて、府庁や委員会が諸々の調整を済ませて手を挙げている状態なので、本当に何の参考にもできない雑感である。
- 茶業振興に向けて、景観という側面の価値を官民ともに認知していることは、とても素晴らしいと思う。このような取り組みは他には見られない。
- しかし、茶農家さんと茶商さん(あるいはそれよりも下流)をつなぐシステムは、小規模な事業体が主軸となる点のみを共通点としながら、日本国内に数多ある産地ごとに大きく異なるものであり、一括りに宇治茶が日本茶を代表できる理由が見当たらない。
- 歴史的側面を考慮すれば、明治期に入るまでは宇治が日本茶の中心地であったことは事実だが、その後の国内各地における日本茶の繁栄を鑑みれば、歴史的側面にどれほどの重要性があるかについて議論が不足しているように思われる。
- また、多くの食品流通の例に漏れず、生産者と問屋の力関係が歪な可能性も窺えるが、言及がない。現状の茶流通システムは手放しに評価できるものなのか、その実態について把握が必要だと考えられる。
繰り返しにはなるが、空間論から食品流通を取り扱う議論は非常に貴重で、様々な視点からの議論を混ぜながら、健全な継承のためにうまく役立てていきたいところだと、私は強く思った。
非常に刺激的な回へ、非会員にも関わらず参加をご快諾いただいた小委員会の皆様に、末筆ながら御礼申し上げます。
*1:いわゆる才取さんのこと。
ファクハク余韻①(株)岳南木工商会
工業都市…………というよりも、支店都市の性格が強い、愛すべき我らが静岡市。
初めて、オープンファクトリーイベントが開催されることになった。その名も「ファクハク」。
最初知ったときも「……?」みたいな感覚でいたけれど、やっぱり気になるのでボランティアスタッフに手を挙げた。
この街で、オープンファクトリーイベント、やるんですか…………?
7本/日しかないバス(土日祝運休)に揺られて
安西橋からおはようございます
— Mihi Rope (@mihirope) November 17, 2023
オープンファクトリーめぐりの一件目に向かっています pic.twitter.com/M8doe6syDc
千代慈悲尾線に乗って、静岡駅から20分弱。バスを降りて10分も歩かないところに、岳南木工商会さんの事務所と工場があります。
「岳南」を社名に冠していますが、ちゃんと静岡市内。岳南電車がメジャーになったので富士市周辺をイメージしますが、ちょっと前の世代だと静岡市でも「岳南」という名称を使ったりします*1。
生憎この日は朝から雨。真横を流れる日影沢川も濁っていました。
岳南木工商会さんは、木製救急箱で国内トップシェアを誇る木工製品メーカー。
四隅に縞々模様で表れる「コーナーロッキング(あられ組み)」が最大の特徴。よく記念品の枡にもあるものです。が、侮ることなかれ。
カタログのない木工屋さん
工場には様々な木材がストックされています。これは撮影OKだった一角の写真で、NGだった倉庫の中には、種類も産地も厚さも様々な木材が、本当に山のごとく積みあがっていました。
ここは単なる木工製品のメーカーではなく、企画者の依頼を受けて様々な製品を小ロットから形にする、オーダーメイド特化の木工製品メーカーです。
だから、カタログもなければ、在庫を抱えることもありません。
ただ、木材は依頼があってから製材を発注するのでは時間がかかってしまう。だから、このように様々な木材をストックしているのです。
ひとつとして同じ機械のない工場
年季の入った裁断機。なぜか「古い」という印象は感じません。
工場の中には様々な機械が配置されていますが、ひとつとして同じ機械は無いように見えます。大量生産をしないから……だけでなく、依頼に対して柔軟に対応できる体制の表れなのかな、と思いました。
工場の従業員の方々も、すべての機械を取り扱うことができるとのこと。個々人の得意不得意と照らしながら、製品ごとに担当を分けていきます。オーダーへの応え方は、完全に個々人に委ねられていますし、委ねても大丈夫なように工場ができています。
でも、刃がむき出し。電子回路の入った機械はひとつしかありません。フールプルーフは手元に委ねられています。常に細心の注意を払わねばいけない工場でもあります。
私たちがまだ知らなかったコーナーロッキングの世界
高く積みあがった、救急箱のたまごたち。コーナーロッキングは実に22段で組み合わせています。
企業秘密でここも撮影NGでしたが、ロッキングカッターも見させてもらいました。他社さんのホームページにも記載がありますが、一つひとつの段をくりぬく刃の調整が難しく、それだけで数日溶けることもしばしばあるのだそう。
だから、写真に映っている箱たちは、その手間をいっぱいに受けた箱たちなのです。ここから更にカンナ掛けの工程が待ち受けています。
円盤に付いた刃が回転して、木枠の天面と底面を揃えていきます。
木枠の幅は一定なので、まるで紙テープのようなおがくずが、機械にも床にもいっぱいに。単なるおがくずですが、ここまで積みあがってきた技術の片鱗が見えるような気がします。
適材適所
同じ樹種でも、産地によって特色が大きく変化します。
例えば上の画像。左側は確か吉野杉だったはず。右側はオクシズ材です。
素人目に見ても、木目の入り方が違う。やっぱりブランド材は相応の品質があるのです。
…………だからといって、ブランド材が常に優れているわけではありません。
木材も自然素材です。湿度の高いところでは水分を吸収し、乾燥したところでは水分が抜けます。
例えば、木造住宅の骨組みに使う木材。伐採してきたところと、住宅の骨組みとして使うところで環境が大きく異なると、思わぬゆがみ方をするのだそう。
だから、木材もできるだけ地産地消したほうが、製品や家屋として長く使い育てていくのに向いている、ということらしいです。
今なぜ「木工製品」なのか
ニトリやIKEAなど、安価な家具が出回るようになった昨今。そのほぼ全てが「フラッシュ板」と呼ばれる、中が空洞だけど木板に見える材料でできています。
大量生産・大量消費は、現代のニッポンが成熟社会である証左かもしれません。
しかし、「成熟した社会を〈つくる〉〈続ける〉」こととは同値なのでしょうか。
工場見学の最後に本田社長は、「今の日本には長く育てるという文化がない」と仰っていました。だから、長く育つもの=木製品に、幼いころから触れてほしい―――その思いに共感してくれる業者さんとの取引を、大切にされているのだそうです。
他にもいろいろなものを見させていただき、いろいろなお話を聞くことができ、実りの多い時間になったのですが、その全てを言葉にするのは難しい……と、久々に頭がパンクしそうになりました。
見学できる機会があれば、皆さんもぜひ足を運んでみてください。
次の記事はこちら。
*1:一番よく知られているのは、某校生徒の伝統チラ見せみたいな呼び方。
関西視察②舞鶴
前回までのあらすじ↓
第一夜は西舞鶴で過ごすことにした。
茶又旅館にて
列車の都合上、この日の宿泊は東舞鶴か西舞鶴の二択。本当は若狭湾のどこかの浜までバスで出て、民宿でゆっくりしたかったが、土日にひとりで訪ねたら迷惑かなーなどと思いつつ、結局は時間の都合で叶わなかった。もっと時間をかけて、車で来て楽しめたらよかったな、と思った。
ちなみにお財布が許さなかったが、ここの食事と宿泊はとても気になっていた。
まちなかの宿泊なら、真っ先に考えつくのがゲストハウス。しかし、どうにもピンとくるGHが見つからない。
そんなこんなでGoogleマップをズームして見ていたら、ふと一軒の旅館を見つけた。
茶又旅館。ブラウザで調べてみたところ、重文指定されている素泊まりの旅館なのだとか。これはスルーできないと思い、電話で予約。スムーズに予約が取れた。
— Mihi Rope (@mihirope) September 9, 2023
宿泊の翌朝、宿の皆さんの許諾を得て、内部をいろいろ写真に撮らせていただいた。
宿のおばあさんと、泊まった夜に少し話し込む時間があった。昔は行商人の営業でよく賑わっていたこと、それも大型資本に取って代わられ、今ではロードサイドにドラッグストアばかりになってしまったこと、近代的な東舞鶴のまちとの対照性、大きな雇用先が中舞鶴の自衛隊基地くらいになってしまい、優秀な若者はみんな都会に出て行ってしまったこと…………
それでも、情報の感度が高い旅人を中心に、宿泊客数が今ふたたび堅調なのだという。コロナ禍を経て、海の京都にも熱い眼差しが向けられているような気もする。PRには一切資金を投じていないとのことだったので、なおのこと長く続いてほしい旅館だ。
ちなみに、歯ブラシは備え付けがあるが、歯磨き粉がない。寝間着もあるし、部屋のコンセントの数も十分あった。
ただ、できたら布団は打ち直してほしいです。チェックアウトするときに言いそびれてしまった…………。
舞鶴のまちを歩く
本当は天橋立や伊根を観光しようと思っていたが、朝出遅れたことと、観光地なら別の機会にでも来るだろうと読んだこともあり、予定を変えて舞鶴のまちを歩いてみることにした。
なんだあれ。めっちゃ富士山やん。
調べてみたところ、あれは建部山といって、またの名を「丹後富士」とも呼んだらしい。
吉原入江を歩く
ちょっとしたベネチアみたいなところが、舞鶴のまちのはずれにある。城下町を整備するときに、漁師たちを伊佐津川の右岸に住まわせたのが、ここ吉原である。
足を運んだときはちょうど満ち潮のときだったらしく、橋のギリギリまで水があった。
今この吉原で、どれだけの方が水産業に従事しているかはわからないが、当時の土地割りや街並みをよく残しており、どの道を歩いても愉しい。
最後の一枚は、恐らく今でもここで水産業を続けている方の軒先だと思われる。
もちろん、建物も素敵なものがたくさん残っている。
最後の一枚は、こちらもやはり銭湯で、登録有形文化財に指定されている「日の出湯」だ。
中には、営みが抜けて朽ちてしまった建屋もある。
あと、建屋は除却したものの、海水が入り込んでいる区割りもある。
ちょっとした湿地帯みたいだ。葦みたいなのまで生えてしまっている。
さすがは漁師町、そこかしこに大きな神社がある。
だいぶ歩きごたえのあるまちだった。
観光地めいていないので、わかりにくいし多くの人を動かすものでもないが、こういったまちの資源こそ大切にして、認知が遍くなるといいなぁと思う。
関西視察①若狭小浜
3泊4日で関西に出かけてきた。
いろいろ見ることができたので、忘れないうちに記録として残しておこうと思う。
重伝建・若狭西組
小浜駅で降り、5分ほど歩くと「小浜市まちの駅」がある。
ここで電動自転車を借りて、まちを巡ることにした。
まず向かったのは、伝統的建造物群保存地区にも指定されている「小浜西組」という地域。
小浜のまちは城下町で、1600年代の後半に東組・中組・西組に分けられて今に続いている。このうち西組は、当時の町割りや街路がよく残っているということで重伝建に指定されている*1。町割りに限らず、明治期に至るまで何度も大火に襲われているものの、1888年以降の伝統的建造物もよく残っている。
色とりどりのうだつが上がるまち。
まちの中は○○区という具合に分かれており、祭礼もこの自治区ごとに出し物が輪番で回ってくる。
さすが城下町と港町を兼ねているだけあって、寺院がとても多い。
まちなかの建物のいくつかは、リノベーションが(恐らく)されて「小浜町家ステイ」というハイエンドな一棟貸しのサービスで泊まることができる。
一方で、空き家の状態が長く続いたのか、有効活用を待たずに朽ちかけている建物も。
地蔵盆の文化が残っており、街角のあちこちにお地蔵さんを見ることができるが、小浜のお地蔵さんは変わっていて、「化粧地蔵」なのだ*2。
東日本文化圏の身からすると、街角のあちこちにお地蔵さんが鎮座している光景は、「信仰」という形でまちに手入れがなされているのが見えているようで、見るたびに興味深いなと思ってしまう。
お!なんと飾り付け前の曳山が出ているではないか。
実は小浜を訪ねた次の土日に、祭礼である「放生祭(ほうぜまつり)」が開催されるらしい。
西組に限らず、中組・東組からも出し物がある。そうか、一週間来るのを誤ったな……と思ったが、間違いなく宿が取れないだろうな。
伝統的なうだつの建物だけでなく、少し近代的な建物も。
三丁町の蓬嶋楼
西組の一番西側、三丁町にやってきた。ここまで見てきたのが商家町だったのに対して、ここは茶屋町である*3。
運良く、土日限定で見学ができる「蓬嶋楼」を見せていただけることになった。
愚かなことに、建物全体の写真を撮り忘れた。
というのも、ちょうど蓬嶋楼の向かいの建物で、子どもが舞踊の練習をしていたのだ。正確には、子どもが「あと1週間しかないんだよ??やる気ある??」と師範に詰められていたところだった。表の障子が外され、通り側から大人たちがベンチに腰掛けてそれを見ていたところに、たまたま遭遇したのだった。
言うまでもないが、この舞踊は放生祭の出し物のひとつである。
伝統的なものではなかったが、自分も地域のお祭りの出し物を習った経験がある。たまたま自分は習い始めた年のうちに表に立たせてもらえたが、表舞台で披露できるまでに数年かかった同級生たちの姿も見てきた。
特に舞踊のような格式高いものは、幼心にその価値を理解するのは難しい。言われた通りにやっているのに全然認められないのなら、やる気なんか出せるわけがない。
でも、そのときに経験したことは、何らかの形で気付きのベースを育ててくれる。だから今は、師範ではない大人たちが励ましたらいいのにな……と、その光景を見ながら思っていた。それに気を取られて写真を撮り忘れた。
お洒落なタイル張りの土間。
玄関では大きなお稲荷さんの祭壇に迎えられる。神棚はこれとはまた別にある。ちょっとびっくり。
花代番付。
2階からは、通りの向かいや、
中庭を挟んだ遠景が眺められる。
室内は赤い土壁が印象的で、片方の間には三日月(新月)が、もう片方の間には満月が配されている。
お手洗いの入り口も兼ねた渡り廊下。銘木が生き生きとしている。
大工さんの技術力がふんだんに盛り込まれた意匠があちこちに。
木板の赤みが、どことなく民芸の印象を覚える船底天井。
放生祭の様子が、写真で展示されていた。子どもがいっぱいいる!
後ろの土壁も、明治時代のものとは思えないくらいきれい。
とかく贅の限りを尽くしたんだな、と強く印象付けられた。意匠もそうだし、それ以上にあちこちの柱が光沢をもっていた。
見学を終えて表に出てきたら、さっき舞踊の稽古をしていた建物の隣に住んでいるおばあさんが道に出てきていた。話を聞いたところ、蓬嶋楼の親戚筋にあたるのだそう。そのため、ガイドさんが入るようになる前は、家族でこの建物の清掃をしていたらしい。こんな豪華絢爛で巨大な建物の清掃ともなると、さぞ大変だっただろうというのは、想像に難くない。
この歳になってから、小浜のまちに興味を持ってね……と、いろいろ話を聞かせてくれた。ひとしきり話し込んで、三丁町をあとにした。
海沿い
西組の街並みから外れ、海沿いへ出た。
このまちに莫大な富をもたらしたのも、海の恵みであり、北前船による交易でもある。
山の稜線には、巨大な送電線がいくつも立ち並んでいる。いかにも嶺南地方らしい風景だが、海がもたらす恵みだけでは、現代まで地域がもたなかった可能性を感じさせる。
川崎を挟んで反対側の船溜まり。
実はこの船溜まりのほとりに、真水が自噴する場所が2か所もある。
そのうちの片方「雲城水」で、手持ちの空のペットボトルに飲み水を汲んだ。
クセがなく、冷たくて美味しい。すぐそばが海なのに、一体なぜここで真水が……?
もう片方は「津島名水」というらしい。どちらも通りがかったときは、地元の方と思しき人が水を汲んでいた。繁盛しているんだなぁ……。
まちをぐるっと一周したところでタイムアップ。まちの駅に借りていた自転車を返却した。
京へ続く鯖街道の起点で、御食国(みけつくに)としても売り出している小浜に来たのに、バッテラのひとつも食べることができなかった。まちなかのお寿司屋さんは、夜はあまりやっていないのだとか。
小浜駅からまちの駅に続く商店街のアーケードはとても特徴的で、さながらのこぎり屋根のよう。
調べたところ、かつては全蓋型アーケードもあったようだが、道路の拡張に伴って撤去されたとのこと。
バッテラも食べ逃したし、西津のほうも行きそびれているので、またいずれ訪問したいと思う。そのときには、もしかしたらまちの風景がまた少し変わっているかもしれない。
読後感想録『ヘンな論文』/サンキュータツオ
読了した。おもしろすぎたので感想は今日明日中にブログにて書き留めます pic.twitter.com/KoaxiO6OAS
— Mihi Rope (@mihirope) April 6, 2023
だいぶ前の記憶、東京ポッド許可局のサイレント局員たる私は、サンキュータツオ氏(現:東北芸術工科大学 専任講師)の著書『国語辞典を食べ歩く』 を探し求めて本屋に入ったものの、その本の厚さに(読める気がしない……)と思い、どういうわけかその隣にあったこの本を手にした。
…………クッソおもしろかった。冷めないうちにその熱をここに放っておく。
“おもしろがる”をおもしろがる
仮にも私は修士課程を出ており、志ある先輩・同期・後輩の方々が「私は自分の研究でこれを言いたいんだ……!」という自分の内々にある主観を、地域社会からどう掬い上げて客観として論述するか、だいたい年明けあたりから四苦八苦している姿を目にしたり耳にしたりしてきた。
私自身も、その轍を踏んできたつもりだ。
かくしてできた論文は大概、「著者がいないと何を言っているのかがよくわからない」ものに終始しがちである。
しかし、この本は違った。扱われている研究論文そのものがおもしろいというのは置いておいて、正気と狂気の間で孤独な言語化に苦しむ研究者の背中を、助走をつけて狂気の沼に突き落としてくれる、そういう一冊である。
わかりにくい研究論文を、わかりやすく噛み砕いてキュレーションしている。
本文中の一節を拝借すると、「だから、研究論文は、絵画や作家や歌手と並列の、アウトプットされた「表現」である。」(p.77 ℓℓ.14-15)という一文が、とても的を得ていると思う。都市計画の分野にいた身からすると、殊更に思う。
「“おもしろがる”をおもしろがる」という意味では、テレビ番組『マツコの知らない世界』『沼にハマってきいてみた』なども同類だろう。
本書はマニアの口伝によらず、「学会の査読を通った、大真面目かつ客観性・独創性に優れた研究論文」に着目している点に新規性がある。
このため、著者たるタツオ氏が後にファーストオーサーを訪問しては、「まさかあれを分野外の方に読んでいただけるとは」という件が随所に記載されている。
…………ちょっとカオスになってしまった。
私のような、論文を査読に通したいけどモチベ不足の人間にこそ読んでほしい。
研究論文の意味とは
なにかと「実学的な研究」ばかりがもてはやされる昨今である。
例えば本文の「十本目 現役「床山」アンケート」。そもそも“「床山」ってナニ……!?”というところからである。
…………すげえ。力士じゃないけど相撲部屋に入門することってあるんだ。
こんなページも発見した。なんだこれ知らなかったしおもしろいかよ。
こんな具合に、一部界隈じゃ当たり前だけど、おもしろい切り取り方をして遍く知らしめてみたら、価値付けや認知の浸透が進んだ、ということは往々にしてある。それが、途絶えかけていた文化芸能の存続につながったり、もっと別のスタイルで健全に持続したり等々。
貨幣換算困難な研究を存続させるべきひとつの理由としては、こうした貨幣換算困難な文化や現象に対して、定性的ではあるが価値付けができ得るから、というのが挙げられるように思う。
もうひとつは「十三本目 「湯たんぽ」異聞」から読み取れる、数式化困難な社会の法則が明らかになる点だが、これはぜひ本書を読んでいただきたい。
これも研究材料になるのでは?
「八本目 「なぞかけ」の法則」を読んでいて思ったことがある。
私が学部一年生の頃、教養の授業で「コラムランド」という風変わりな授業を取っていた。
受講生が持ち回り(+乱入創作可)で、B5横置き縦書き、各回のテーマに沿って自由に文章創作をする、というものだった。
怪文書集を発掘した
— Mihi Rope (@mihirope) November 13, 2020
傑作が多いので残しておこうと思う pic.twitter.com/QCsxrEvDk5
そのときの呪物が、まだ手元にある…………。
各回における評価などのデータがあれば、弊学の学生がどんな文章をおもしろいととらえるかを分析できそうなものだが、当の開講されていた先生が21年度末で退官されたとのことなので、実際にできるかどうかは怪しい。
実際、おもしろくて文章力も養われる良い授業だったことは間違いない。教育改悪で廃講に追い込まれたのは無念であった。
なんだか支離滅裂になってしまった感が否めないが、学問を楽しむという肌感を楽しめる秀逸な一冊だった。続編もすぐまた手に取りたい。
追記:東京大学で「コラムランド」が転生していた件について。
うあああ???東大でいつの間にかコラムランド復活してるよ、知らなかったhttps://t.co/sxDqI6U5Ad pic.twitter.com/a0ASvhb90I
— Mihi Rope (@mihirope) April 6, 2023